2005年11月07日

第7号 反面教師

「反面教師」と言う言葉がある。
これは、毛沢東が「悪い見本として、かえって見習うべきようなもの。悪い面の手本。悪例。」と言う意味で放言した言葉である。
そこで、『大紀元時報』から学ぶべき記事を2つほど見つけたので、しばらくお付き合いいただきたい。
そう、近隣の国を反面教師として学ぶのである。
特に喫人のような習慣は、決して真似をしてはいけない。


【伝統文化】君子の謙虚
【大紀元日本9月18日】宋の粛王と沈元が使節として北方へ行き、燕山で宿をとった後、言葉使いが非常に優美な3000字ほどの唐の石碑を見つけた。沈元は記憶力が非常にたけていたので、何度も朗誦を繰り返すが、傍らを歩いている粛王は気にとめないようであった。

 宿に戻った沈元は、自分の才能を顕示するため、ただちに筆を執り石碑の文章を紙に書き始めた。しかし覚えていない14箇所は全部空いていた。粛王がそれを見て、筆を執って空いていた箇所を埋めてから、5箇所ほど間違ったところを修正した。修正し終えてから、粛王はその場にいた人と別のことについて語り始め、いささかも傲慢な気色を顔に現そうとしなかった。これをみて、沈元は大変驚いて、粛王を敬服するようになった。

 「自分は他人よりも勝っていると誇示してはならない。なぜなら、他人は自分より勝っているからである。」ということわざは、全くその通りである。

 君子について、明の理学者・陳幾亭氏は次のように語った。

 「君子には二つの恥がある。一つは自分の長所を顕示すること。二つ目は自分の短所や不得意なところを覆い隠すことである。長所があるなら謙虚でなければならず、できないところは学習するように努めるべきである。また、君子には二つの悪がある。すなわち、一つは他人の長所や能力を妬むこと。二つ目は他人の短所や不得意なところを言いふらすことである。他人が何かをやり遂げたときは、自分がやり遂げたように喜ぶべきであり、他人がやり遂げなかったときは、それを自分の戒めとしなければならないのである。 何かをするときは、それを成し遂げようとする態度に着眼し、「私にはできるが、彼にはできない」という傲慢な態度を捨てなければならないのである。

 孔子もかつて「その善なる者を選びこれに従い、その善ならざるものにして、これをあらたむ」と戒めたように、他人の良い面を自分が習う手本とし、他人の良くない面を自分の戒めとして、さらに自分の良くない点を改めるべきである。

弟子を食べているような輩が偉そうに良く言うとは思うが、確かに言っている事はその通りである(書いている事そのままで解釈していただきたい)。
しかし、残念ながら現在同じ国土に住む者達は随分と不遜である。

では、後半ではもう1つの記事について触れていこう。『伝統的文化:貪らないことを宝とする』

 【大紀元日本11月6日】宋の時代に、ある人が一つの宝石を手にいれた。彼はこれを斉の大夫・子罕(しかん)に献上しようとしたが、子罕はこれを受け取らなかった。「この玉は宝石の専門家に鑑定してもらった、本物の宝石です。あなた様に献上しようと思いまして」という人に対して子罕は、「私は貪りを宝としません。あなたは宝石を宝としていますが、もし宝石を私にくれれば、私たちは二人とも、自分の宝を失うことになります。それならやはり各自で宝を保管したほうがいいでしょう」と言い、ついに宝石を受け取らなかった。

 『左伝』から引用した上記の物語の意味は奥深い。人間がみな「貪りを宝としない」ようにし、すべてのものを欲深く欲しがらず、ただ「満足を知ること」で、初めて「常に楽しむ」ことができる。「貪」という漢字は「今」と「貝」(宝)とによって構成されているように、ただ目前にあるものだけを宝とするなら、これを永遠に維持することはできないだろう。漢字にはそれを見るだけで人々が道義を学び、常に自分を律することができるようにという配慮が伺われる。

 古から今日まで、個人の盛衰や国家の存亡はみな、往々にして「貪り」が原因となっている。人間の財産、虚名、情欲などに対する欲望は、永遠に満たされることのない底なし沼のようである。もし欲望や貪りの心を自制しなければ、人間は逆に自分の欲望の奴隷となり、金銭や情欲の支配下に置かれてしまう。そのために一生を費やし、憚ることなく悪事を行い、人間のもつべき道徳規範や尊厳を捨て去り、ひいては個人の命や国家を犠牲にすることもある。しかし自然のすべては天による按配であり、善悪には報いがあることが永遠に変わらない真理であるように、貪りに駆られて血眼になって相争えば、必ず悲惨な運命になることも、忘れてはならない。

赤文字で強調している部分を良く見ていただきたい。
残念ながら、現在同じ国土に住んでいる者達は随分と貪欲である。
しかも、他人のものに自分から進んで手を出しているではないか。
これは全て、彼の国の悪いところに当てはまる事である。
我々は反面教師として、このような事がないようにしたい。
posted by 諸行無常 at 07:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
中国人の知恵である、漢字について一言。
貪るの貪は今の貝だが、貧しいの貧は分ける貝である。

中国人に取って、貧しくない状態とは、即ち貝、お金を独り占めした状態だったりするのである・・・。

反面教師、反面教師w
Posted by 三輪の何某 at 2005年11月07日 07:49
漢字からもあの国の人たちの性格が見て取れる訳ですよね。
全くもって、あの国の人たちはしょうがない人たちです。
Posted by 諸行無常 at 2005年11月07日 07:53
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